東洋オステオパシー協会

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オステオパシーとは

今をさかのぼること、170年余り前の1828年8月6日、アメリカのヴァージニア州で牧師であり医師でもあったスコットランド系アメリカ人の夫婦の間にひとりの男の子が生まれました。

名前は、アンドリュー・テイラー・スティルといい、その子供は幼少のころより、人の骨に対して大変興味を持っていました。

ある時などは、先住民の墓地から死体を掘り出し、人の骨格がどのようになっているのかを調べたりするような変わった一面もありました。

また10歳になったある日のこと、頭が痛くなったので父の畑の木に作っていた手製のブランコのロープを下げて、地面から20センチほどの高さにし、そこに毛布をかけて枕がわりにして横になりました。

ちょうど、後頭部の下の首の付け根の部分をブランコにのせて、背中を伸ばし、あお向きに寝るようなかたちです。 すると何となく落ち着いた感じになり、眠ってしいました。

目がさめるとすっきりし、気分も良くなり、頭痛もおさまり、同時に、その時痛かったお腹まで治っていました。

当時は当然、医学的な知識はなく、ブランコで頭痛が治まるという理屈というのがまったっくわからなかったのですが、経験的にそれが頭痛などに有効だとわかってからは、体の調子が悪くなりかけると、ブランコを利用するようになりました。 (現在では、CV-4テクニックと呼ばれ、ウイリアム・サザーランド医師が発明し、ジョン・アプレジャー医師により研究、体系化されたクラニオ・サクラル・セラピーの中の手技の一つになり、広く一般に使われています。)

青年になり父親と共に奴隷制度に強く反対していたスティル氏でしたが、ミズーリ州は奴隷制度の支持者が多かったため、結局、ミズーリ州を追われカンサス州に移り住むことになります。

奴隷制度の反対を続けながら、カンサスシティの大学で聴講生として、病院の指導医師から医学を学び外科医の資格を得ます。

南北戦争では、北軍に従軍しカンサス民兵のリーダーとして活躍し、また軍医としても積極的にその任務をはたしました。

戦争が終わり、外科医として元の仕事にもどり、友人からは「名医」として親しまれていました。

当時の医療技術や知識を学びますが、その後,妻との間にもうけた三人の子供を髄膜炎で次々と亡くしてしまいます。

「医者でありながら何もできなかった、、、、」

そのときの気持ちは、子供をお持ちの方でしたらお分かりになると思います。

「私が、学んできた医者としての知識は何なのだろうか?」

スティル医師は、たいへん思い悩みました。 たしかに、当時の開業医たちの医療技術や知識は、まだまだ発展途上で不確かなものでした。 病気の原因に対してもほんのわずかしか理解されておらず、治療方法といえば、瀉血、下剤、水銀、鎮静剤など、、、、

西洋医学に疑問と限界を感じるようになり、やがて自然医学(本来、体にそなわっている、自然に回復する能力を活かした療法)に目を向けるようになりました。

試行錯誤、観察を送り返し続けているうちに、さまざまな病気の人には、筋肉や骨格などに異常があることに気がつき、その異常が原因で、からだのバランスがくずれ、病気や、痛みとして現れるのではないかと考えはじめました。

そして、その異常を取りのぞき、からだのバランスを整えると病気や痛みが改善されることを発見します。 さらに、現代医学の三大治療法である手術、注射、投薬を使わずに、素手の手技療法だけの医学体系を、作り上げていきました。

そして、それを「骨」を意味する「オステオ」と「病む」を意味する「パソス」というギリシャ語からオステオパシーと名づけました。

中でも薬物の使用は、人のからだに宿る自然治癒力を妨げると考え、ことあるごとに、「毒をもっている」と、普通の医師を非難した為に、たくさんの敵をつくりました。

最初のころは、その理論を認める人はほとんどいませんでしたが、1870年から80年代にかけて、全米各地をまわって、その新しい手技療法を実践して歩きまわりました。 少しづつ、そのめざましい治療効果が人々の間に広まり、しだいに、たくさんの患者が彼のもとに押し寄せて来るようになりました。

1892年には、ミズーリ州のカークスヴィルにオステオパシーの教室を開きまもなく、「アメリカ・オステオパシー・スクール(現在のアメリカ・オステオパシー医学大学)」を開校。

そして、史上初めて医学を学ぶ場としては、黒人と女性にも門戸を開き、それからは、急速に全米各地及び、ヨーロッパにも普及し始めました。

その後、後に続くたくさんの優秀な弟子たちが、数々の手技療法を発明、体系づけていきます。

スティル氏の一番弟子のウイリアム・サザーランド医師が頭蓋の縫合が動くことを発見し、ジョン・アプレジャー医師により研究、体系化されたクラニオ・サクラル・セラピー。

ローレンス・E・ジョーンズ氏が発見した、 椎骨矯正に一大革命をもたらしたといわれている矯正法。 ストレイン&カウンターストレイン、テクニック。

現在、日本の整形外科医の間にも広まりつつあるPNFという療法の 原型となった、MET(マッスル・エネルギー・テクニック)。

その他、マイオファシル・リリース、内臓マニピュレーションなど数々の画期的な治療法が開発されました。

さらに現在では、アメリカには州立、私立をあわせて、20校のオステオパシー医科大学が設立されるまでになり、卒業後は、一般の医師MD(メディカルドクター) とは別に、DO(ドクターオブオステオパシー)という称号を与えられ、正式な医師資格として全米医師会に認められるようになりました。

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